
歴史を感じさせる、重厚で超一流の面接会場にたじろいだ
ただのピザ屋なのに歴史を感じさせる重厚なビルにオフィスが!
1970年以降、マクドナルドやケンタッキーフライドチキン、デニーズなどのファストフードやファミリーレストランなどアメリカ発症のビジネスがどんどん日本で展開し、グルメブームの追い風も受けて新たなライフスタイルを作り出し輝きを増していた。
私はお客様としてそれらを利用することで、時代の流れに乗っている自分を演出していた。ただ、そこで仕事をしている自分はなかなかイメージすることができなかった。
そのイメージとは、すでに出来上がっているあの素晴らしいイメージと雰囲気の中で、先輩たちのもとでマニュアルを理解して実践していく姿を自分に投影できずにいた。しかしながら、そのイメージは直ぐに現実のものとなった。
当時は海のものとも山のものとも言えないピザデリバリーは、先述の先陣を切って展開する大手チェーン店とは比較にもならない存在であった。しかし、自分にとってはなぜか大きな魅力を感じていた。「アメリカ発」「日本初」「ピザ」「デリバリー」…どれもが新鮮で魅力あるものだった。
今しかできないチャレンジと思って、断られれば仕方がないという気軽な気持ちが背中を押し、面接申込の電話をかけさせた。
そして、なんと面接会場は現在のザ・ペニンシュラ東京がある場所にあった日比谷パークビル。
歴史を感じさせる重厚なそのビルの一角に(株)ワイヒガ・コーポレーション(現(株)ヒガ・インダストリー)のオフィスがあった。「ただのピザ屋さんなのに何で日比谷にオフィスがある??」と思いながらオフィスを訪ねた。
入口のドアを開けるとスーツ姿で経験豊富そうな貫禄あるおじさまたちが一斉に顔を上げて厳しい視線を私に向けた。社長室と思われる奥の部屋の前には、007に登場するミス・マネーペニーのような秘書さんの席があった。
初めて見る映画のような光景に一瞬「やばい!」と感じた。オフィスを間違ったのではと思いと合わせて、場違いな会社の面接に臨もうとしていると不安がよぎったのだ。
すると傍から明らかに他の方々と異なる気さくそうなおじさまが登場した。初代店長のSさんだった。S店長との面接内容はよく覚えていないが、前述の応募動機三つは話したように記憶している。
ドミノ・ピザ事業は商社であるワイヒガ・コーポレーションが新規事業として立ち上げたものだとの説明を受け、それで超一流なオフィスであった理由も理解できた。
こうしてS店長との面接を経て、採用基準はどこにあったのかは別として、晴れてドミノ・ピザ第一号アルバイトメンバーの一人に選ばれることとなった。
マニュアルはたったの紙4枚!?
店も商品も無く、仕事のイメージが全くできない単調な研修に、不安が募るばかり
1985年8月下旬。
目黒にある貸会議室にオープニングメンバーが集められた。メンバーとの初顔合わせ。初対面での会話に苦手意識はなかったもののやはり緊張する。一通り自己紹介を終えて、自分が最年長グループの一人だったことに少しの優位性と安堵の気持ちを持った。
これからの関係性作りには最初の立ち位置が重要であり、リードされるよりもする方が自分にとっても強みを発揮できると感じたからだ。そして集まったメンバーの大半の自宅は広尾・白金・恵比寿・中目黒・代官山のデリバリーエリアにあることを知り、セレブな仲間への驚きとともに配達ルートを教えてもらえるのでは、との期待が高まった。
研修もスタートし、運営会社であるワイヒガ・コーポレーションの紹介と説明の後、ドミノ・ピザの歴史や世界でも最大級のピザデリバリー企業であることを再確認した。商品説明、オーダーからデリバリーまでの一連の流れ、電話によるオーダー受注方法、配達先での対応の説明を受けた後、ロールプレイングを行うこととなった。研修テキストはそれぞれのステップとポイントが記されただけの手書きで、A4でたった4枚の紙だけだったのだ。
実はこの初日から3週間もの間、研修と称して参集されるものの、ロールプレイングによる受注と配達の対応練習、さらには地図を片手に大型マンションの場所を徒歩で確認しながら歩き回ることが続き、毎回2〜4時間で終了した。
「夏休みのバイト」のフレーズ付きで募集していたにもかかわらず、未だ店舗もできておらず、本物の商品を見る機会もなく、仕事のイメージを全く持つことなく続くロールプレイングから先行きの見えない不安によって不満の声が上がり出していた。
※専門家がお話を伺い、課題解決をサポートします。

