【この記事の概要】
米国式ドライで科学的な経営手法に、日本式GNN(義理、人情、浪花節)のウェットと緻密さが加わって体系化された商業経営
日本版ピープル・ビジネス誕生の背景には、商業経営の神様倉本長治主幹、経営の神様松下幸之助翁の系列電器店ネットワーク展開をはじめとして、稲盛和夫氏の京セラフィロソフィー、渥美俊一先生のチェーストア理論、倫理法人会等々をベースにした日本式経営であり理念や思想を採用している企業が多く、その経営基盤をベースに米国から輸入されたピープル・ビジネスの経営概念が導入と構築がなされ、日本版ピープル・ビジネス理論としてまとめ、体系化がなされました。
ピープル・ビジネスの日本上陸の歴史と商業経営発展構築の背景
店舗経営(ピープル・ビジネス)の概念は日本の戦後復興期、米国のチェーンストアやフランチャイズチェーン(FC)に起因される。
1955年には高度経済成長の始まりとなった神武景気が幕開けし、翌1956年の経済白書(経済企画庁)では国民所得が第二次世界大戦の太平洋戦争前の最高水準と同等レベルに達し「もはや戦後ではない」と戦後復興が一定の成果を上げた。
1957年には日本初のFC開始の日本コカコーラボトリング設立を皮切りに、1963年に国内初のフランチャイズチェーンのダスキンと不二家が開業、1969年第2次資本自由化後から1970年代後半までの期間で米国メジャーチェーンストアやFCと同時に多店舗化に必要な人財開発ノウハウのピープル・ビジネスの概念が続々と日本上陸。
チェーンストア理論の渥美俊一先生が1962年チェーンストア経営研究団体ペガサスクラブを発足、1966年(社)日本ボランタリーチェーン協会設立、1967年日本チェーンストア協会発足、1972年(社)日本フランチャイズチェーン協会設立と同時にフランチャイズチェーンやチェーンストアの国内展開が中心となって新たなピープル・ビジネスのマーケットが開拓、拡大されていった。
そもそも商業経営の理念や基盤構築の歴史は、戦前から戦後にかけて、“店は客のためにある”という消費者主権と“損得より先に善悪を考えよう”という商業倫理を掲げ、一貫して正しい商人道と商業の近代化し、商業経営の精神と技術を追求してきた「商業界」主幹で商業界ゼミナールの創始者の倉本長治主幹によってつくられた。
倉本長治主幹は、アメリカ式経営技法の導入と同時に“商道”を説き「儲けない商売に誇りを持っても儲からぬ商売を恥じよ」と商人に職業への使命感を訴えた。
今までの金儲け主義の商人のあり方から転換して、お客のための商売に生きようという信念に共感した人たちと共に、倉本主幹はいち早くアメリカの先進的な技術の導入を積極的に提唱して、チェーンストア理論をはじめとする科学的経営のあり方を説き続け、日本の近代的商業の基盤が構築して、超一流のチェーンストアの成長にも多大な影響を与え商業経営の基盤を構築された。