新人育成と作業マニュアル誕生のきっかけ
「なんで新人と1年もやってる俺たちが同じ時給なんだ!?」仕事と給与、モチベーションの関係性を考えるきっかけ
オープンから日を重ねて1年が経過した1986年頃、新たに多くのアルバイト(以下、クルーという)が仲間入りしてきた。
それまでは自分自身が効率よく確実に、ピザメイクとデリバリーを行うことでよかったのだったが、その時から新人クルーのトレーニングが新たな役割として追加された。
毎日売上計画とクルーの出勤希望から作成されたシフトのため、トレーニング対象クルーは都度替わる。
それら新人へのトレーニングの基本は仕事の手順と基準を説明した。例えば、デリバリー時には一緒に後ろに着いてきてもらい、その姿を見てもらって手本を示した。それを何日か行った後は、今度は私が後ろについて道順や接客応対について理解度や対応度を確認し、指導を繰り返し行っていた。
そんなある日、一緒に新人トレーニングを担当していたオープンメンバーのベテラン1人が唐突にこんな声をあげた。
「なんでこないだ入ってきた新人と1年もやってる俺たちが同じ時給なんだ!?こんなにトレーニングもやっているのに、教える側と教わる側の時給が同じなんておかしくないか!?」
私にとっては、オープニングスタッフ募集時の時給が他社よりも高めだったことから、これまで考えもしなかったことだった。しかしこの不満は次第に大きく輪を広げていき、オープンメンバーの大半が同調することにまでなっていった。
最初は「まあまあ…」とみんなを宥めていたのだったが、メンバーが仕事を辞めると言い出したことにリスクを感じ、加えて同じドライバーやピザメイクでも先輩たちの方が圧倒的にスキルが高いことも事実であることから、スタッフを代表して店長に対して時給アップの提案を行うことにした。
なにせ当時はバブル景気突入前で二大求人誌『フロムエー』『アルバイトニュース』の厚さは1㎝以上もあり、それを求職者が100~200円で購入していた時代で、求人広告は高時給、高待遇など労働条件も良い売り手市場だった。
オープン後1年目で軌道に乗っているのかどうかも知らず、経営状態などお構いなしにアルバイト視点だけで、みんなの気持ちを会社に直訴したのであった。振り返れば3店舗目のオープンを控えていた時期でもあり、突然の時給アップは経営的に難しい状況にあったことと思う。
だが会社は、私たちの提案を受け入れ、時給アップを実現してくれた。これが最初の時給テーブル(キャリアパスプラン:職能階級制度)のベースとなったのだ。
多くのオープニングスタッフは勝ち誇ったような表情で仕事を継続することを決めたようだった。
私はこれで先輩後輩の軋轢もなくなり、各自の立ち位置で仕事に対して自信を持ってやってもらえるとホッとした。
この出来事は私にとって、仕事と給与、モチベーションの関係性を考えるきっかけになった。
単能工から多能工化へ ジョブローテーションを実施せよ
「隣の芝生は青く見える」熟練者は他の仕事を覚えよ
デリバリーメンバーが増えるにつれて、ベテランドライバーに対してピザメーキングやオペレーション指示などを行うインストア業務にも就くようにとジョブローテーションの打診があった。
オープニングトレーニングで少しはやっていたものの、本業的にピザメーキングを行うには改めて練習が必要だった。ドライバーだけをやっていた頃は「インストアスタッフは、ドライバーと違って風雨にさらされることもなく、空調の効いた店内で仕事ができていいなぁ」と羨ましく感じていた。