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「研究やら勉強やらとは無縁の元不良少年」が家業のカメラ店入社後に一念発起して、「地域一番化戦略で日本一を達成」させたこと
「人材教育は「群れ」や「集団」で見るのではなく、その人の「個」を見なきゃいけない
「人材教育はその人の「個」を見なきゃいけない。「群れ」や「集団」で見るのではなく、「個」を尊重して対等に向き合えば、どうしてその人がそうなっているかの背景がわかる。どうしてそのレベルに留まっているかがわかる。
――そのためには、まずは自分から相手の目線に下りていかなきゃダメなんだよ。」
前回まで、私はこのメッセージを伝えてきた。うわべの経営論や即席の成功法則が持てはやされる今、私が語る泥臭い経営論は皆さんの心にどう響いているだろう。
生々しすぎる?
――いやいや、これからもっと生々しくなるから、引かずに付いてきてほしい(笑)。では今回も始めよう。
サトカメ流人材教育論その2
「自分を研究する」ということと、〈目標〉と〈目的〉の違い
前回私は、「対等な関係というのはシビアなもの。自分の考えが通らないことが出てきた時に、自分からわざと土俵の下に降りて、「上長は部下の意見は無条件に尊重すべき」という逆差別的な正当性を盾にとるのは卑怯なやり方。
頭が回るスタッフほどこの誘惑に駆られるが、経営者としては、それをする前に彼らが自分で、“まずい。今これで通しちゃうと良くない癖がつく”と気付けるようにしてあげたい」ということを話した。
そういう直感や自重は、「自分を俯瞰的に見る習慣」を普段から持っているかどうかがカギになる。その意味で私がいつも感じるのは、
「なんでみんな、もっと自分自身を研究しないんだろう」
ということだ。
自分の使用方法、取り説。長所、弱点、強み、弱み、その他もろもろ。コンサルタントをやっていると、それらを自分で研究してみもせずに、「自分は何をすればいいですか?」みたいなことをいきなり聞いてくる経営者にたまに出会う。
私はそのたびに心のなかで、
“会ったばかりでわかるかよ!”
とツッコミを入れるのだが(笑)、あれはどういう心理なのだろう。毎回不思議だ。
自分について研究してあげられるのは自分だけ。――皆さんはこのことをどれだけ自覚しているだろうか。
自分がどうやって今の自分になったかについて無意識なままでは、いくら経験を積んでも勉強をしても、あまり意味がないと思う。
経験にも「ただの経験」と「歴史的経験」があって、前者はいわば“刹那的な”経験で、それっきりだが、後者の経験は自分で意識的に振り返ることができる。