(最新版)ドミノ・ピザとスターバックスに学ぶグローバルビジネス 2.残暑厳しい日にドミノ・ピザ日本一号店がやっと完成した!

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 「夏のバイト」の華やかなフレーズとは裏腹に、毎日、会議室で行われる短時間で短調な研修に不安を感じていた私たちに吉報があったのは残暑厳しい9月上旬のこと。
 待望のドミノ・ピザ日本一号店がやっと完成したのだ。初めて見るその店は、外からの見ると普通の店なのだが、店内は、ピザの受注センター、製造工場、テイクアウトとデリバリーの各センターを一つにしたこれまでにないピザ屋!?に感動を覚えた。そして、とても清潔でエアコンも効いた快適な労働環境。商品の品質や生産性向上のために、徹底したテクノロジーとシステムで合理化が追及された米国式ピザ製造工場とも言えるピザ屋であった。

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ドミノ・ピザ日本一号店がやっと完成

徹底したテクノロジーとシステム化で合理化を追及したピザ製造工場

 期待していた「夏のバイト」のフレーズとは裏腹に、毎日、会議室で行われる短時間で短調な研修が続き不安を感じていた私たちに吉報があったのは残暑厳しい9月上旬のこと。

待望の店舗が完成したのだ。「次の研修は恵比寿店で実施します」との案内があり、メンバーのモティベーションを一気に高めた。

初めて見る店舗はかっこよかった。

店外には赤と青基調にした大きなロゴと「Domino’s pizza」の看板。

店内はブルーを基調とした近代的なデザイン。

そして、各ラインごとに、ポジションと業務が明確になったレイアウトになっていた。

受注ラインであるオーダーカウンターには、固定電話機が4台と手書きの注文伝票。当時はまだ、現在のような顧客情報や受注情報などの仕組みを電話一つで動作するように統合する技術・システム CTI(Computer Telephony Integration)などは無かった。

ピザ製造ラインであるピザメイク(調理)では、ピカピカのステンレス製コールドテーブル冷蔵庫で、テーブルにはホテルパンがセットされ、冷えたトッピング食材やピザチーズを冷蔵庫を開けずにそのまま取り出せるように、冷蔵庫内には食材のストックができるように工夫がされ、横に三歩ほど移動すればピザメイクができてしまうレイアウトになっているので、短時間でカスタマイズピザの製造を可能にしていた。

ピザを焼成するオープンは、出し入れ箇所が同じ一ヶ所の一般的なオープンとは異なり、上下からジェット噴射で加熱するベルトコンベア式オーブンなので、ベルトコンベアにピザをのせるだけで、短時間で焼成されて出てくる。出し入れの手間も省け、焼き過ぎなどのロスも無い、画期的な機器を見て衝撃を覚えた。

デリバリーの準備をするデリバリーラインには、デリバリー用のピザ保温ケース、ドリンクなどサイドメニューのストック、配達先を確認できる住宅地図、ドライバー用の雨具や防寒具の保管場所などが動線に沿ってレイアウトされていた。

床に排水溝があって湯気が立ちあがり、長靴をはくような、いわゆるウエットな床の日本式厨房とは異なりドライで衛生的で滑らない床。そして、なんとエアコンまで効いている!

このように外からの見ると普通の店なのだが、店内は、ピザのための受注センター、製造工場、テイクアウトとデリバリーの各センターを一つにしていて、これまでにないピザ屋?に感動を覚えた。

このピザ屋は、とても清潔であり快適な労働環境で働きやすく、商品の品質や生産性向上のために、徹底したテクノロジーとシステムで合理化が追及された米国式ピザ製造工場とも言えるデリバリーピザ屋であった。

米国ドミノ・ピザ本部、指導官のリーダーシップスタイル「手本を示しリードする」

世界中に物は行き渡り、消費者ニーズの多様化からカスタマイズ時代への突入。豊富なメニューに覚えられるか心配に…

 その記念すべきドミノ・ピザ日本一号店に、アメリカのドミノ・ピザ本部から派遣されてきた指導官がいた。名前はジョン氏、通称「JB」という。

初めて対面したJBは、長身、ガッチリ体型で素晴らしい身だしなみ、姿勢や態度は正にプロのビジネスマンでかっこいいと感じた。

流暢な英語での説明は通訳を介さないと理解できなかったが、本場ドミノ・ピザの雰囲気を醸し出すには十分すぎるシチュエーションだった。まあ後にこのJBと意見がぶつかることとは、夢にも想像していなかった…。

店舗での研修はオーダーテイキング(注文の承り)とピザメイキング(調理)の実践。スタンダードのオーダーから予約オーダーの取り方を始め、ピザメイキングへのオーダー通し、ドーシート(受注表)の取り扱いなど、実践的な流れの中で基本の徹底とあらゆるケースを想定したロールプレイングが繰り返し実施された。

ピザメイクラインにはトッピングの食材が何種類もセットされていた。今ではトッピング*という文化は当たり前であるが、昭和後期の当時ではトッピングという言葉や注文方法は、ほとんどなかったので馴染みの薄いものであった。

そのため、トッピング食材の種類やピザメニューとの組み合わせやカスタマイズピザのレシピを正確に覚えられるか、とても不安になったこと。そして、なぜこんなに手間をかけたピザをつくるのか、と思ったことを鮮明に覚えている。

それは、物不足を解消するため、少品種の大量生産によって物は行き渡るようになり、その結果、消費者ニーズが多様化した。個々のニーズに応えるカスタマイズ化、多品種の少量生産の需要が高まったという時代背景があることも後から分かった。

ちなみに、この時代にトッピング*を導入したのはアイスクリームチェーンが多く、詳細は、以下の通り。

(参考)トッピング*を導入したチェーン店のグランドオープン日

  • 1984年(昭和59年)11月 ハーゲンダッツ国内1号店 東京・青山店
  • 1985年(昭和60年) 9月 ドミノ・ピザ国内1号店 東京・恵比寿店
  • 1985年(昭和60年)10月 ホブソンズ国内1号店 東京・西麻布店

指導官の英語は分からなかったが、手本が繰り返されたことで、基本の徹底の重要性を理解し、それが基準となった

 JBがピザ調理のデモンストレーションをやってくれた。ピザ生地を手で“パンパン”して“クルリ”とピザ職人のように投げて、伸ばし、あっという間に丸い生地が成形される。

その生地に均等にソースを塗り、チーズをかけてトッピングをのせ、コンベア式オープンに入れた。

この手際よい手本を見て、「かっこいい!自分もあんな風に作れるようになりたい」と思った瞬間だった。その姿は今でも目に焼き付いている。

そして、焼きあがったピザは、日本で最初に作られた「ドミノデラックス」で、今でも大人気の定番メニューだ。

焼き上がった香ばしい香りに包まれたラージサイズのピザは予想していたよりも大きく、ピザ生地も厚めだった。トロトロのチーズをこぼさないように口に運んだ瞬間、「おいしい!今まで食べてきたピザとは全く違う。これが本物か!」と言葉にならない感動があった。

自分にとってはこの最初のピザの見栄えとおいしさがドミノ人生における全ての基準となったのだ。そのくらい初めて見聞きしたことや第一印象は非常に重要であり、その会社の品質やトレーニング基準ともなる。

そして、JBが教えてくれた基本の徹底の重要性や「手本を示しリードする*」というリーダーシップスタイルは、トレーニング、リーダーシップや人間関係などに応用ができることに、先々気づかされることになった。

「手本を示しリードする*」の詳細は、以下基準を参照してください。

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このように、最初に見聞きしたJBの言動は、日本で最初の「ドミノデラックス」の味と共に脳裏に焼き付けられ、日本ドミノ・ピザの基準となり、躍進の原動力となった。

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