ドミノ・ピザとスターバックスに学ぶグローバルビジネス (第2回)ドミノ・ピザ始動

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華やかな「夏のバイト」とは裏腹に、店は一向に完成せず会議室で短時間、地味で短調な研修の日々に、段々と苛立ちと不安が募る

目の当たりにした米国式ビジネスの衝撃

期待していた「夏のバイト」のフレーズとは逆に、毎日、会議室で行われる短時間で短調な研修が続き不安を感じていた私たちに吉報があったのは9月上旬。待望の店舗が完成したのだ。「次の研修は恵比寿店で実施します」との案内はメンバーのモティベーションを一気に高めた。

初めて見る店舗はかっこよかった。外には赤と青基調にした大きなロゴと「Domino’s pizza」の看板。店内はブルーを基調とした近代的なデザイン。オーダーカウンターには固定電話機が4台。ステンレスでピカピカのピザメイク(調理)ライン。そして初めて見るコンベヤー式の大型オーブンにはまるで工場のようで衝撃を覚えた。床に排水溝があり長靴をはくようないわゆる日本式厨房とは異なるドライで衛生的、そしてエアコンが効いたシステム化された米国式キッチンがあった。

米国から派遣された指導官との出会い。基本の徹底。それが全ての基準に

店舗にはアメリカから派遣されてきた指導官のジョン氏(通称JB)と初めて対面した。長身、ガッチリ体型で素晴らしい身だしなみ、姿勢や態度は正にプロのビジネスマンでかっこいいと感じた。流暢な英語での説明は通訳を介さないと理解できなかったが、本場ドミノピザの雰囲気を醸し出すには十分すぎるシチュエーションだった。まあ後にこのJBと意見がぶつかることとは、夢にも想像していなかった…。

店舗での研修はオーダーテイキング(注文の承り)とピザメイキング(調理)の実践。スタンダードのオーダーから予約オーダーの取り方を始め、ピザメイキングへのオーダー通し、ドーシート(受注表)の取り扱いなど、実践的な流れの中であらゆるケースを想定したロールプレイングが繰り返し実施された。

ピザメイクラインにはトッピングの食材が何種類もセットされていた。今ではトッピングという文化は当たり前であるが、当時はトッピングという言葉や注文方法は、ほとんどなかったので馴染みの薄いものであった。そのため、トッピング食材の種類やピザメニューとの組み合わせやカスタマイズピザのレシピを正確に覚えられるか、とても不安になったこと。そして、なぜこんなに手間をかけたピザをつくるのか、と思ったことを鮮明に覚えている。

JBがピザ調理のデモンストレーションをやってくれた。ピザ生地を手で“パンパン”して“クルリ”とピザ職人のように伸ばし、均等にソースを塗り、チーズをかけてトッピングをのせ、コンベア式オープンに入れた。その手際よい手本を見て、「かっこいい!自分もあんな風に作れるようになりたい」と思った瞬間だった。その姿は今でも目に焼き付いている。

(参考)トッピングシステムを導入した国内1号店グランドオープン日

・1984年(昭和59年)11月 ハーゲンダッツ国内1号店 東京・青山店

・1985年(昭和60年) 9月 ドミノピザ国内1号店 東京・恵比寿店

・1985年(昭和60年)10月 ホブソンズ国内1号店 東京・西麻布店

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