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伝統食「南部せんべい」とともに受け継がれる「人本経営」の思想と実践 裕福だった実家にかつての栄華はなく、困窮に瀕する毎日にもめげず、すべてはなけなしの大金で買い求めた手焼き型21丁からはじまった
人を大切にする経営
幼少期からの命懸けの苦労が「人生の転機」に、苦労を一身に背負う母への想いが「人生の原点」となって生き残り、年商30億円超のトップ企業にまで成長
東北・南部地方の伝統食、南部せんべい。もともとは八戸藩でつくられた非常食であり、小麦粉を水で練って円形の型に入れて堅く焼いてつくられる。
青森県、岩手県全域が主な生産・消費地で、同地域の名物として長く親しまれている。
それゆえ、南部せんべいを販売する会社は、戦前には約500社を数えたという。ところが戦後の食生活の多様化により、現在も営業を続けるのは10分の1の約50社以下になっている。
そうした厳しい淘汰を生き残り、トップ企業として南部地方の食文化を現代に伝え続けるのが岩手県二戸市の小松製菓だ。同社の屋号でありブランド名である「巖手屋」のロゴは、両県さまざまな場所で見ることできる。
売上高は30億円超、従業員はおよそ270人を擁し、伝統の味わいに新たな価値を付加しながら成長を続けている。
創業時は21丁のせんべい型で夜も寝ないでせんべいを焼いたという。
奉公先で覚えた
せんべいを商う
小松製菓創業者の小松シキさん。丁稚奉公の12歳のとき、せんべい焼きをおぼえた。
同社は、創業者の小松シキが12歳の頃、青森県の小さな町の奉公先でせんべい焼きを覚えたことから始まる。
1918年、シキさんは岩手県二戸市で8人兄弟の末っ子として生まれる。母は嫁ぎ先で次々に子どもを亡くし、また義母の手ひどい仕打ちに絶えかねて、幼いシキさん一人を連れて実家に出戻った。
しかし、裕福だった実家にかつての栄華はなく、困窮に瀕する毎日となる。シキさんは苦労を一身に背負う母を少しでも楽にさせてあげたい一心で、尋常小学校時代からさまざまな仕事に精を出したという。
そんな仕事の一つであった、行商の手伝いから商売の楽しさを知ることになる。とはいうものの、ときには吹雪の中を行商に出て雪山で遭難しそうになったこともあったというから、子どものころから命懸けの苦労を重ねた。