商業経営の原理原則 15.岡田卓也と柳井正、二人に共通する商いの心

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焦土に開く—— 一枚のチラシに込めた平和への想い

「小売業は平和産業である」と確信をした日。チラシを見た多くの客が岡田屋を訪れ、中には「やっと戦争が終わったんですね」というなり、涙を流す人もいた

「大売り出しを告げるチラシ」第二次世界大戦で店舗を焼失した岡田屋は終戦翌年に営業再開。大売り出しを告げるチラシに多くの顧客が平和の到来を実感した。
「大売り出しを告げるチラシ」第二次世界大戦で店舗を焼失した岡田屋は終戦翌年に営業再開。大売り出しを告げるチラシに多くの顧客が平和の到来を実感した。

 倉本をして「豹」と言わしめた岡田卓也とは、商人としてどのように出発したのだろうか。それを如実に物語るエピソードが『岡田卓也の十章』(2007年・商業界刊)にある。卓也20歳のときのことである。

 卓也はいまから260年以上前に創業した岡田屋という老舗呉服店の7代目として生まれる。大学在学中に軍隊入隊を余儀なくされ、20歳のときに茨城県鹿島で終戦を迎え、故郷の三重県四日市へと帰ってきた。

復学すると同時に、姉の千鶴子たちと一緒になって家業を復興しようと、学生のまま社長に就任した。戦争で店舗は焼けてしまったが、先祖代々が守ってきた「岡田屋」という暖簾、つまり無形の信用だけは焼け落ちることはなかった。

 卓也は先祖代々ずっと商売をしてきた店の跡地に、バラックのような40坪の店をつくった。1945年の9月から、資材を集めるだけでも半年かかったという。従業員5人からの再出発だった。

 学生社長だった卓也は、東京の大学に夜行列車で行き、また夜行列車で帰ってきては、週の半分以上を岡田屋で励んだ。そして、営業再開を知らせるチラシに卓也はこう記した。

焦土に開く――。

 日中戦争以降、暮らしは統制経済下に置かれ、国民の生活は一貫して統制経済下にあった。商人は自由にものを売ることができなかったし、チラシをまくこともできなかった。それゆえ、チラシを見た多くの客が岡田屋を訪れ、中には「やっと戦争が終わったんですね」というなり、涙を流す人もいた。

終戦の事実は何度もラジオで放送され、新聞でも報道されていた。しかし、それでも庶民にとって戦争終結の実感は薄かった。しかし、卓也がまいた一枚のチラシが、本当に平和が戻ったことを告げたのだ。

 その日以来、卓也は「小売業は平和産業である」と確信。それがイオンを創った男の出発点となった。ここから9歳離れた姉、千鶴子との二人三脚が始まった。

士農工商と闘い続けた商人人生

「岡田君、小売業なんて雑魚じゃないか」士農工商はいまだ終わっていない。これがイオンを創った男の原動力となった

岡田屋、フタギ、シロとの3社合併でジャスコを誕生させたイオングループ創業者の岡田卓也 260年以上前に創業した三重県四日市市にある岡田屋という老舗呉服店の7代目
イオンを創った岡田卓也 岡田屋、フタギ、シロとの3社合併によってイオンの前身であるジャスコを誕生させたイオングループの創業者。260年以上前に創業した三重県四日市市にある岡田屋という老舗呉服店の7代目。

 「良き商人とはすなわち良き人間のことである」と倉本は言ったが、卓也ほど「公」と「私」を峻別した商人は珍しい。創業者利益をほとんど「私」にせず、ほとんどの財産を教育や環境財団という「公」へと注いだ。日本の近代商業史を見渡したとき、こうした例は少ない。

 また卓也は、小売業の社会的地位の向上にその人生の大半を尽くしてきた商人でもある。これは戦後のチェーンストア志向企業創業第一世代に共通する認識でもあるが、卓也にはその傾向が強かった。「士農工商はいまだ終わっていない」と常々口にするが、それには四日市時代の次のようなできごとが起因している。

 四日市の商工会議所は工業都市であったためか、会議所の全議員55人中、小売業の評議員はたった2人しかいなかった。そこで卓也は商業部会長となると同時に、小売業者から10人を議員にしようと、10人が当選できるだけの委任状を集めて回った。議員選挙で商業部会から立候補する10人が全員当選するとなると、他部会から8人の議員におりてもらうことにある。

企業の倫理観の欠如が問題となる中、商人、小売業とは何か、さらに商人である前に人間としてどう生きるべきかを学んだ

 年配の工業部会担当の副会頭に言われて侮辱されるものの反発し、会頭が他部会を説得して9人まで議員を辞退させた。そして、商業部会も1人立候補を辞退するよう卓也に諭すと、「これだけ会議所を混乱させたのですから、私が降ります」というと、「君は降りるな」と会頭。卓也は会長推薦議員となり、小売業者から10人の議員が誕生することになった。

 以来、卓也は士農工商と闘い続けてきた。そのためには小売業の社会的地位を高めなければならない。商業は平和産業であり、平和の中で価値を創造し、社会の豊かさ、生活者の暮らしの豊かさを支える産業でならなければならない。これがイオンを創った男の原動力となった。

 卓也は倉本についてかつてこのように語っている。

 「私は四日市の商人の家に生まれ、終戦後これからの生涯に何に力を入れようかと悩んでいました。そのとき、倉本長治主幹にお会いする機会があり、商人、小売業とは何か、さらに商人である前に人間としてどう生きるべきかなど、数多くのことを学びました。(中略)近年、企業の倫理観の欠如が問題に上がっています。これは、今日の日本の繁栄を築いた基本理念が忘れられているためであり、あらためて倉本主幹の教えを学ぶことはたいへん有意義なことだと思います」(倉本初夫著『倉本長治 昭和の石田梅岩と言われた男』推薦文より)

店は客のためにある——。卓也が倉本から学んだ精神がその商いの根本にある。

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