商業経営の原理原則 15.岡田卓也と柳井正、二人に共通する商いの心

イオン イオンモール 岡田屋、フタギ、シロとの3社合併でジャスコを誕生させたイオングループ創業者の岡田卓也 260年以上前に創業した三重県四日市市にある岡田屋という老舗呉服店の7代目 姉の小嶋千鶴子

【記事の概要】
 「岡田君、小売業なんて雑魚じゃないか」
 士農工商はいまだ終わっていない。これがイオンを創った男の原動力となった。260年以上前に創業した岡田屋という老舗呉服店の7代目として生まれ、学生社長の岡田卓也と共にイオンを創った姉、小嶋千鶴子がファーストリテイリングを世界企業に成長させた柳井正青年に与えた影響。

この記事の目次

岡田卓也と柳井正、二人に共通する商いの心

在籍わずか10カ月足らずも、彼の人生に影響を与える二人の商人との大きな出会い

 後にファーストリテイリングを世界企業に成長させた柳井正青年には、かつて一度だけ他人の釜の飯を食った経験がある。岡田屋、フタギ、シロとの3社合併によって誕生間もないジャスコ(現・イオン)に、柳井青年は大学卒業後の1971年に入社した。

 在籍わずか10カ月足らずであったが、ここで彼の人生に影響を与える二人の商人と出会う。イオンを創った姉弟、小嶋千鶴子と岡田卓也である。そして、この姉弟は拙著『店は客のためにあり店員とともに栄え店主とともに滅びる』の主人公、倉本長治の愛弟子であった。

「豹」といわれた若き商人と彼を支えた姉

1951年に誕生した商人の学びの場『商業界ゼミナール』で倉本長治主幹は岡田姉弟を導き、姉弟から商売の師として慕い続ける関係に

1963年、岡田屋が大卒者の定期採用を本格的にスタートさせた記念すべき年 商業界の倉本長治主幹 入社式で新入社員たちを激励
1963年、岡田屋が大卒者の定期採用を本格的にスタートさせた記念すべき年。商業界の倉本長治主幹が入社式で新入社員たちを激励した。

 その人は日本の流通業界の豹のような存在といってよい——。

 「日本商業の父」といわれ、小売流通現代史に名を刻む商人たちを育てた倉本長治に、こう言わしめた商人がいる。倉本はその著『此の人と店』(1975年・商業界刊)で、イオン名誉会長相談役(当時・ジャスコ代表取締役社長)を「若き俊英」と表現し、次のような思い出を披露している。

 戦争が終わり3年ほど過ぎたころ、倉本はある知人の紹介で三重県四日市の岡田屋呉服店を訪ね、千鶴子、卓也という姉弟と出会う。祖父の店を売り、戦後に開通したばかりの新道沿いに40坪ほどの店を建てて間もないころだったが、さらにそれを2倍の規模に拡張工事中であったという。

 「商品供給も十分ではないのに、それほど大きな店舗が必要だろうか」と、倉本は増築中の足場を渡りながら姉弟に訊ねた。すると、「これからはどんどん商品が出回るし、生活用品やいまや何でも不足しているのですから、店は大きければ大きいだけ有利であり、お客様にも便利ではありませんか」と卓也が勇ましく答えたという。

倉本は「いかにも自信に満ちていて、見るからに名人が鍛え上げた短剣に接するような感じを与える。末頼もしい青年だった」と述懐している。

 その後の1951年、倉本が商人の学びの場として「商業界ゼミナール」を開催するようになると、岡田姉弟も参加。以来、生涯にわたって倉本はこの姉弟を導き、姉弟は倉本を商売の師として慕い続ける関係となる。

 後に商業界ゼミナールは「商人の道場」といわれ、最盛期には3000人超の商人が全国から集った。そこでは若き日のダイエーの中内功、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊、ニチイの西端行雄、長崎屋の岩田孝八、セゾングループの堤清二、ユニーの西川俊男らが席を並べて学んでいた。岡田卓也が後に合併を果たすフタギの二木一一と出会い、親交を深めていくのもまた商業界ゼミナールであった。

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