中内の信念を証明する出来事がある。
1995年1月17日、阪神淡路大震災が起こった朝、ダイエーは政府に先んじて災害対策本部を設置。中内は陣頭に立ち、民間企業の役割をはるかに超える執念と速度でライフラインを死守した。
また、その年の春、ダイエーの入社式で中内はこんな発言をしている。
「かつてのマーチャントはシルクロードを歩き、大航海時代を経験してきた。単にモノを運ぶだけでなく、文化・文明をつくり上げてきた。我々もマーチャントとして単に生活必需品を売って稼ぐだけでなく、この国における新しい文化、新しいモノの考え方をつくることに貢献することが大事である」
ほとんどの人が商売人として出発し、そこに安住する。商人への険しい道を進んでいこうと努めるのは一握りだ。しかし、中内は間違いなく、たとえ志半ばで倒れようと、商人であることをめざした男だった。
中内は1957年、大阪・千林商店街に医薬品や食品を安価で薄利多売する小売店「主婦の店ダイエー薬局」を開店。1972年には百貨店の三越を抜き、小売業売上高日本一を達成する。
中内は倉本との出会い、そしてその人柄と教えについて、1982年に刊行された『倉本長治追悼写真集』に次のように記している。その2年前、1980年に日本で初めて小売業界の売上高1兆円を達成していた。
「流通革命の旗手」から亡き師への哀惜の言葉
昭和中期から作り上げ、日本経済を支えた『革新的な商人道』。よくある精神論ではなく合理的な実務論
「大阪で、薬を安売りしている、けしからん奴がいる。薬は、人命に関わる神聖なもので、それを大根や菜っ葉みたいに安売りするとは、けしからん」

この記事によって私は、「商業界」を知った。けしからん雑誌だと憤概し、倉本先生に文句を言おうと思って、商業界ゼミナールに初めて参加した。お会いしてみると、先生は非常に革新的な考え方の持ち主であることがわかった。私の憤慨した記事は、先生の書かれたものではなかった。
「薬も食料品も、人間の口から入って、美と健康に関わるものであるから、両者に何らの差もないではないか。薬を安売りしたら、中味が悪くなるというのは、理論的におかしか」という私の考え方に、先生は全面的に同意された。一生想い出深い人の一人、倉本長治先生との出会いは、こうしたきっかけで始まった。
昭和26年から箱根で始められた「商業界ゼミナール」は、商業者にとって画期的なセミナーであった。それまでは、前垂れをかけ、揉み手をして、「ありがとうございました」と言うことだけだとされてきた商人の道に対して、先生は、革新的な商人道を作り上げられた。
これが我々商業者にとって、精神的なバックボーンとなった。箱根のゼミナールに参加し、あの熱気の中から、今日のダイエーをつくりあげてきた。先生にうけた筆舌につくしがたい御恩に対し、御礼の言葉もない。
※専門家がお話を伺い、課題解決をサポートします。

