【繁盛経営】ライバルをも動かし、瀕死の企業を救った経営哲学|商業経営の原理原則 7.慈愛真実の商人「商人の絆」

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かつてのマイカルグループが運営していた「サティ(SATY)」の店舗外観。日本の小売業が産業化していく過程で、生活文化の向上と経営の合理化を追求した大規模小売店舗の歴史的な記録。
【産業化へのロマン】小売業が単なるモノ売りから「生活文化の創造」へと進化した象徴。倉本長治氏が期待を寄せた「小売業の産業化」というロマンが、かつてのビッグストアには満ちていました(出典:Wikimedia Commons / 著者:663highland / CC BY-SA 3.0)。

商売の根底にある「慈愛真実」の精神

「仏」と呼ばれた夫婦商人の物語

 死後もなお多くの人の心をあたたかくする夫婦商人の話です。

大阪市立の国民学校を退職後、1949年(昭和24年)に衣料店「ハトヤ」を設立した西端行雄は、その後、京都や大阪の繊維・雑貨店4社を合併し、1963年(昭和38年)に革新的チェーンストア「ニチイ」を創立、社長に就任しました。

生活者への奉仕を目的に掲げ、個々の特徴を全体の力へと昇華させながら吸収合併を重ね、スーパー業界第5位にまで成長させた西端は、「仏」と呼ばれた商人でした。日本チェーンストア協会常務理事も務めるなど、業界全体を牽引した彼の功績は、妻の春枝とともに今も日本の小売業史に輝き続けています。

商業界の創立者であり、「昭和の石田梅岩」と言われた倉本長治と西端夫妻は、正しい商いを極めんとする師弟であり、互いへの尊敬と信頼で結ばれた同志でした。倉本は西端夫妻を評して「その精神の美しいこと、信念から生まれる力の逞しいことは計り知れない」と書き残しています。

千日デパート火災と慈愛の決断

 1972年5月、大阪千日前の千日デパートで火災が発生しました。死者118人、負傷者81人という戦後最大のビル火災となりました。 火災はニチイが入居していた3階から発生したものの、出火原因は大家によって行われていた改装工事関係者のタバコの不始末と推測されました。裁判は長期化が予想される中、ニチイは判決を待たずに、遺族へ約4億円の見舞金を送ることを決断しました。

これは、当時としても破格の金額でした。死者の多くは階上で営業していたキャバレーの従業員や客であり、ホステスには幼子を抱える女性もいれば、客には一家を支える大黒柱もいました。

この西端の決断に対し、倉本長治はこう書き残しています。「西端という人は自分の側に過ちらしきものが少しでもあってはならぬとするが、他人のためにはどこまでも常に思いやりが深かった。自分については何ごとも極めて厳格であった。万事について、そんな人柄であった」。

この行動は、まさに商売における「慈愛真実」の精神を体現するものでした。自分に非がなくとも、困っている人がいるなら助ける。真実をもって、誠実に人々と向き合う。この夫婦の姿は、多くの人々の心に深く刻み込まれたのです。

※専門家がお話を伺い、課題解決をサポートします。

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