はじめに:「どうせ無理」の壁を越えた、その先に
前回の『6.思うは招く「お前にはどうせ無理」』では、私たち店舗経営者が抱える心の壁「どうせ無理」を打ち破るための思考と行動の原則についてお話ししました。
植松努さんが言うように、夢とは「今はまだできないことを追いかけること」であり、その夢を諦めさせるのが「どうせ無理」という言葉です。あなたの心の声が、自身の未来を決めている。
言葉は、あなたが自覚していない心の領域、つまり潜在意識に深く影響を与え、その通りの結果を招いています。潜在意識は、意識全体のうちごく一部の顕在意識を除いた大部分を占め、氷山の水面下に見えない部分のように、私たちの思考や感情、行動を支配しています。
日々の直感や行動パターン、いわゆる「第六感」も潜在意識と深く関わっています。商売を永続させるには、まず自分自身の心にある「どうせ無理」という呪縛を解き放つことが不可欠です。しかし、その思いを一人で持ち続けるには限界があります。真の成功には、チームや顧客、そして取引先など、多くの人々の心を繋ぐ「絆」が不可欠です。
今回は、商売を支える見えない力、「商人の絆」に焦点を当てます。商売の根本にある「慈愛」の精神から、その絆をいかに育み、店舗の未来を創っていくかを、具体的な事例を交えて紐解いていきましょう。
死後もなお、お客様に語り継がれる商人とは
「三つの死」と商人の本懐
メキシコには古来から伝わる「三つの死」という死生観があります。一度目は心臓が止まったとき、二度目は埋葬や火葬をされたとき、三度目は人々がその人のことを忘れてしまったとき――。
アカデミー賞受賞アニメーション映画「リメンバー・ミー」の題材にもなったこの思想は、故人が人々の記憶から消え去ったときこそ、本当の死を迎えるということを教えてくれます。
商人もまたしかりです。たとえ肉体は滅びても、店は受け継がれ、お客様の記憶に生き続けることこそ商人の本懐であり、務めといっていいでしょう。
「おまえのじいさんには、いつもよくしてもらった。あのときだって…」と故人との思い出話を懐かしく語るお客様が、あなたの店にもいるかもしれません。そうした代をつなぐ繁盛店には必ず、死後もお客様に語り継がれる商人がいます。それが、その店への信頼の幹となり、その幹が太いほど多くの花を咲かせ、実りを豊かにするのです。
では、あなたなら自身の死後に、どんなふうにお客様の記憶に残り、語り継がれたいと考えるでしょうか。
商売の根底にある「慈愛真実」の精神
「仏」と呼ばれた夫婦商人の物語
死後もなお多くの人の心をあたたかくする夫婦商人の話です。
大阪市立の国民学校を退職後、1949年(昭和24年)に衣料店「ハトヤ」を設立した西端行雄は、その後、京都や大阪の繊維・雑貨店4社を合併し、1963年(昭和38年)に革新的チェーンストア「ニチイ」を創立、社長に就任しました。
生活者への奉仕を目的に掲げ、個々の特徴を全体の力へと昇華させながら吸収合併を重ね、スーパー業界第5位にまで成長させた西端は、「仏」と呼ばれた商人でした。日本チェーンストア協会常務理事も務めるなど、業界全体を牽引した彼の功績は、妻の春枝とともに今も日本の小売業史に輝き続けています。
商業界の創立者であり、「昭和の石田梅岩」と言われた倉本長治と西端夫妻は、正しい商いを極めんとする師弟であり、互いへの尊敬と信頼で結ばれた同志でした。倉本は西端夫妻を評して「その精神の美しいこと、信念から生まれる力の逞しいことは計り知れない」と書き残しています。
千日デパート火災と慈愛の決断
1972年5月、大阪千日前の千日デパートで火災が発生しました。死者118人、負傷者81人という戦後最大のビル火災となりました。 火災はニチイが入居していた3階から発生したものの、出火原因は大家によって行われていた改装工事関係者のタバコの不始末と推測されました。裁判は長期化が予想される中、ニチイは判決を待たずに、遺族へ約4億円の見舞金を送ることを決断しました。
これは、当時としても破格の金額でした。死者の多くは階上で営業していたキャバレーの従業員や客であり、ホステスには幼子を抱える女性もいれば、客には一家を支える大黒柱もいました。
この西端の決断に対し、倉本長治はこう書き残しています。「西端という人は自分の側に過ちらしきものが少しでもあってはならぬとするが、他人のためにはどこまでも常に思いやりが深かった。自分については何ごとも極めて厳格であった。万事について、そんな人柄であった」。
この行動は、まさに商売における「慈愛真実」の精神を体現するものでした。自分に非がなくとも、困っている人がいるなら助ける。真実をもって、誠実に人々と向き合う。この夫婦の姿は、多くの人々の心に深く刻み込まれたのです。

絆が世代とライバルを繋ぐ「ある一つのこと」
瀕死の企業を救った「商人の絆」
西端の死後、ニチイはマイカルと社名を変え、業態転換を進めました。しかし、急激な事業拡大の代償として、2001年に経営破綻という戦後最大の倒産劇を経験します。
そんなマイカルに支援を表明したのが、ライバルであったイオンでした。イオンの創業者、岡田卓也は、マイカルの前身である衣料店「ハトヤ」の西端とは、それぞれ「岡田屋」という小さな店の店主の頃から共に学び、競いあってきた同志でした。
イオン社内からも異論があったことは想像に難くありません。しかし、岡田はある一つのことを確認すると、「それならばマイカルは大丈夫だ」と社内の異論を抑えたといいます。その「ある一つのこと」とは、西端夫妻がハトヤの頃から毎朝の朝礼・終礼で社員と唱和してきた「誓いの詞」でした。
人の心の美しさを
商いの道に生かして
ただ一筋に
お客さまの生活を守り
お客さまの生活を豊かにすることを
わが社の誇りと喜びとし
日々の生活に精進いたします(合掌)
岡田は、この詞が西端の死後もマイカルに受け継がれている事実に、西端の志が健在であることを認めました。これは、商売の精神が時を超え、ライバルをも動かすほどの「絆」となり、企業を救ったという感動的な物語です。
商売の原則:3つの心構えと実践
絆は、特別なことをしなくても、日々の小さな積み重ねから育まれます。西端夫妻の生き方から、絆を深めるための3つの心構えを学び、それを実践していきましょう。
1. 相手を「我が身」のように大切にする心
お客様や従業員、取引先を、まるで自分自身のように大切にすること。相手の立場に立ち、何を求めているかを真剣に考え、行動に移すことで、確実に絆は深まります。
- お客様をファンにする:単なる売買の関係ではなく、個人的な繋がりを築きましょう。
- スタッフを「仲間」にする:彼らの意見に耳を傾け、失敗を恐れず挑戦できる環境を作り、成長をサポートしましょう。
- 取引先と「共存共栄」の関係を築く:単なる仕入れ先ではなく、共に商売を成長させるパートナーとして尊重し、連携を密に行いましょう。
2.「慈愛」を持って接する
常に慈愛の心を持って商売に臨むこと。自分の店の利益を優先するのではなく、親身になって問題解決に努め、相手を深く思いやる気持ちから行動することです。
3.「真実」を貫き、信頼を築く
どんなに小さなことでも、真実を貫く姿勢を持つこと。商品の品質、サービスの提供方法、価格設定など、すべてにおいて偽りがないか、常に自問自答してください。真実の積み重ねが、やがて揺るぎない信頼となり、絆を強固なものにします。
商売の未来は「人」が創る
今回は、商売の根底にある「慈愛真実」の精神と、「商人の絆」について解説しました。前回の記事で学んだ「思い」が、今回お話しした「絆」によってさらに大きな力となります。
強い思いを持つ一人のリーダーと、その思いに共感し、支える仲間たちの絆があってこそ、店舗はどんな困難も乗り越え、持続的に成長していけるのです。
商売は、常に変化し、時に困難な道を選ばざるを得ません。しかし、その先に広がる未来を創るのは、最新のテクノロジーや画期的なビジネスモデルだけではありません。
「人」と「人」とが心を繋ぎ、お互いを思いやる「絆」です。そして、その絆を育む経営者の揺るぎない思いと行動です。
次回『8.人を大切にする経営「困窮に瀕する毎日にもめげず」』では、この「絆」を育む上で欠かせない、「人を大切にする経営」について、さらに深く掘り下げていきます。「困窮に瀕する毎日にもめげず」、いかにして従業員を大切にし、商売の道を切り拓いてきたのか。どうぞご参考いただければ幸いです。


